アジズとの対話

はじめに

 これは私がアジズと初めて出会った時の個人面談の記録である。私が「覚醒への道」を本当に歩み始めた時の実践的ガイダンスの記録であり、同じ道を歩んでいる人々にとっても適切なガイダンスとなるだろう。

 当時はこれを一般公開する事になろうとは、夢にも思わなかった。だから少しばかり私のバックグランドに触れさせて頂きたい。そうする事で、この面談をより深く理解される助けとなれば幸いである。

 私はごく普通のサラリーマンの家庭に生まれた。 比較的恵まれた環境の中で育ち、人並みの受験勉強の苦しみを通過し、それなりに名の知れた大学を卒業後、いわゆる大手企業に就職した。 私の前途には、順風満帆の人生が洋々と広がっているはずだった。

 しかし精神的には乾いていた。とても乾いていた。 こんなんじゃない。 「これが本当の自分の人生なんかじゃない!」 心の奥底から叫ぶ魂の声を押さえつつ、なんとか世間的に認められる人生を生きていた。

 そんなある日、インドの神秘家OSHOの本と出会った。このOSHOとの出会いは人生最大の衝撃と言っていいだろう。 OSHOの存在は、本当の自分の可能性を探す勇気を与えてくれた。 そして世界中に同じ香りのする探求者達が大勢いる事を教えてくれた。 私はもはや孤独ではなかった。

 やがて私は会社を辞め、当時OSHOが滞在していたアメリカへと旅立った。 新しい自分を求めて第二の人生が始まったのである。 28才の時であり、それ以来私はOSHOと共に道を歩んだ。 OSHOがインドへ戻ると、インドが私の精神的なメッカとなった。 ・・・・・ そうして17年の歳月が過ぎ去った。

 1999年12月、私は例年通りインドのプーナを訪問した。プーナにはOSHOのアシュラム(修行道場)があり、世界中の精神的探求者のメッカとなっていた。 「精神的探求者」とは心地よい響きを持った言葉で、そこには大いなる喜びがあった。しかし、17年も探し続けると事情が異なる。このまま残りの人生が終わってしまう事に対する、焦燥感の方が強くなった。 そんなある日、ある人物の噂を耳にした。 「アジズという悟った人物がアシュラムの近くでサットサングを行っている」という噂だ。

 サットサングとはインドの伝統で、悟りを開いたマスターが真理を伝達する集会を意味する。 それまでの私にとってはOSHOがすべてであり、どんなに素晴らしい人物でOSHOと比べるとウソっぽく見えてしかたがなかった。 悟ったと称する人物に対してはなおさらだし、いたずらに人々を迷わす危険人物として敵意さえ抱いた。

 アジズという名前を聞いた時も同様だった。 「そいつはきっと悟りというマインドゲームに陥っているに違いない。馬鹿なやつだ。」というのが、正直な反応だった。 しかしなぜか気になる。 ひやかし半分の感覚で彼のサットサングに出てみたのだが、とても深い精神的「衝撃」を受けてしまった。 今までに体験した事のない深淵なバイブレーションが、私の眠りこけた魂を揺すぶり始めたのである。 そこでさっそく翌日の12月20日より1日おきに4回の個人面談を受けた。幸いテープに録音しおいたので非常に正確な記録となっている。

 この「アジズとの対話」以降、自己の歩むべき方向性が非常に明確なものとなり始めた。そこでその後の経緯を「SP確立の軌跡」として、特別編に追加した。

2003年3月14日

天野 清貴

>>個人面談第一回(1999年12月20日)