恩寵の扉が開くまで

1、フーマンとの出逢い

(1)希有なる出逢い

 「袖振れ合うも多生の縁」という言葉があるが、人生は人と人との出逢いによって織りなされるドラマだ。
しかし、「来ては去っていく」数々の出逢いというドラマの中にあって、自己の内奥にある魂を揺さぶり目覚めを促す、きわめて希有なる出逢いというものがある。
私にとってはOSHOとの出逢いがそれであり、その繋がりは「永遠なるもの」に属するので、「去っていく」という事がない。
フーマンとの出逢いも、まさにこのカテゴリーに属する。

 実はフーマンとの出逢いについてその体験を書くように本人から4年も前に言われていたのだが、当時はまだ劇的変化の最中で余裕がなくずっと保留のままになっていた。
遅ればせながら最近ようやく用意が整い、ここに公表できることを嬉しく思う。

このサイトを今は亡きフーマンに捧げる。

 フーマンという存在は、アジズ自身がソウルブラザー(魂の兄弟)として絶賛していた事もありアジズの生徒の間では初めから有名だった。
しかし「ハワイに在住している若くして悟った人物」ということ以外、何も知らなかった。当時はアジズのワークに専念していたため、あまり関心がなかったのである。
いわゆる「ステート オブ プレゼンス」のワークが終わり次のステップを模索し始めた時に、初めて会ってみたいという衝動に駆られた。

 2001年3月、初めてフーマンと言葉を交わしたのは電話を通してであった。

私の下手な英語でしかも国際電話だったにもかかわらず、あたかもすぐ目の前でフーマンと対面しているかのようで、実に不思議な感覚だった。
私の問題を非常に的確に指摘したのみならず、隣で聞いていたヨガビジャの状況をも、パートナーの私よりも遙かに手に取る様に把握していたのである。
「この人は本当に私の事を知っている!絶対に逢わなければならない!!」という強い衝動が魂の奥底からこみ上げて来たのである。

 以来4年間、公私に渡って親密かつ的確な教えを受けた。
ボディを去る前の数年間は教師としての活動を殆どせず、ハワイ在住の生徒達からフーマンの所在についてリーラスペースに問い合わせがくるような状況だった。
秘書のダニエラによると、フーマンは私たちには計り知れない「聖なる次元」との交流や「世界平和の祈り」等に没頭していたようである。
しかし不思議なことにリーラスペースの活動に対してだけは積極的に関わり続けてもらう恩恵に浴し、最期まで的確な指導を受け続けることができた。

 今はもう感謝の言葉を直接伝える事はできないが、フーマンによって伝達された真実を実際に生きる事、そして同じ道を歩む人々に分かち合う事こそが、私に残された唯一の感謝の表現だと思う。
このサイトが、その一助を担えれば幸いである。

(2)「聖なる次元」からのメッセンジャー

 ここでフーマンという人物について、手短に紹介しよう。

 Houman と書いてフーマンと発音する。
イランの裕福な家庭に生まれ、子供時代から夏休みはフランスで過ごし、高校時代には留学した事もあるそうだ。
彼の存在全体から醸し出されるきわめてエレガントな品の良さは、悟りとは別に、育ちの良さにも起因していると思う。

 しかしイラン革命の勃発により状況は一変、家族は財産を没収され大変困難な状況に陥る。
革命に嫌気がさした彼は西洋へ脱出、苦労してアメリカの大学へ進学する。大学を卒業後、エンジニアとしてシアトルのボーイング社に入社する。

 光明は27才の時、噂によれば出勤途上の会社の駐車場でそれが起こったという。
噂の真偽はともかくとして、厳しい修行の結果悟ったというのではなく、幼い頃から「聖なる次元」への回帰願望が強かった彼は、恩寵の賜物としてごく自然な形で「本当の私は誰か」を思い起こしたそうだ。
それが悟りと呼ばれるものであることは、後で調べてから解ったというのが実に興味深い。
始めはシアトルで教えていたが、私が知った頃はハワイ島に移住してひっそりと質素に暮らしており、ハワイ島にはごく少数の生徒達がいるだけだった。

 人間としてのフーマンそのものも非常に素晴らしい存在であるが、このサイトの焦点はそこにはない。
フーマンは「聖なる次元」からのメッセンジャーであり、その伝えられたメッセージの中身を伝達することが目的だ。
 私にとってのフーマンのイメージは、実物の写真よりも復活後のイエス・キリストのそれに近い。
別に奇跡を起こすわけでもなく生徒の数も少ないのでキリストを引き合いに出すのは大げさと思われるだろうが、その神聖さと愛の深さはキリストのいるスペースと同じ所からやって来ている事は明白だった。

 フーマンのメッセージは非常にシンプルであり、要約すればたった一つの真実の開示であり、それは言葉を超えている。

OSHOはその事について「This!This! a thousand times This!(これ!これ!千回もこれ!)」と表現した。
フーマン自身もまた、その事について次のように私に語った。

OSHOが語った真実あるいは悟りとは、別の次元の事だ。
それは、遙か彼方から人間の次元に到達した一条の光だ。
人間がそれにアクセスする事は出来ない。
しかし、それは人間にアクセスできる。
その事は非常に重要だ。

だから、この私が誰か何者なのかという事について・・。

もう今すでに解ったように、この私はフーマンではない。

この人、あなたに語りかけているこの口を持っているこの者は、ただの「This(これ)」であり、あなたが自分自身として体験してる「This」とまさに同じだ。全てのBeingの「自己」と同じなのだ。

そしてよりあなたが「This」の中に入りそれに明け渡すと、よりあなたは他の人にも「This」を見出すようになる。
「This」は全てのBeingが持つ潜在的可能性なのだ。
「This」こそが、誰もが持っている「真実の自己」であり「本性」だ。

だから今からは、スピリチュアルな道を歩んでいく上で私に関わる時「This」として関わるように。
フーマンとキヨタカ、としてではない。
もしあなたが私を「フーマン」にすると、あなたは「キヨタカ」という立場からやって来ることになる。

そうでななく、ワンネスの真実、キヨタカを越えた純粋な絶対的な源泉から「This」として関わるように。
これが、あなたのカルマのサイクルをお終いにする始まりだ。
そうして、あなたは今生においてあなたのワークを完結する事ができる。
そして、永遠に「This」に休息し、キヨタカなしで「This」とともに進化する。

 これからこの文章を読み進める方は、フーマンをフーマンという一個人を超えた「This」として認識して欲しい。

OSHOは言う。
「私は聖なる次元からのラブレターを配達する郵便配達人だ。郵便配達人にキスしてはならない・・」と。

だから、フーマンという郵便配達人の素性等には捕らわれないことだ。
しかしそうは言ってもラブレターが美しいほど、郵便配達人にしがみつくという傾向は、人間として避けられない事とも言える。
幸い(?)フーマンは肉体を離れているので、もうしがみつきようがない。
フーマンは「This」の中に溶け去った。

 私は今「This」に促されてこの文章を書いている。
そしてこの文章を読んでいる方々の中にある「This」へとメッセージが体験的に伝われば、このサイトの目的は果たされた事になる。
その時、あなたも私もフーマンもいない。
私たちは全て同じ源泉を共有するワンネスの多様な表現であり、あなたと私はその本質において同じなのだ。

(3)存在の「鏡」としての役割

 フーマンのメッセージはきわめてクリヤーであるが、言葉に捕らわれると必ず矛盾や混乱に陥る。

特にある生徒に語った事柄と別の生徒に語った事柄が矛盾していたり、同じ生徒に対しても一年後には全く正反対のことを言う事がしばしばあった。

 このサイトを読み進めて行くと、最初の頃と最後のセッションとでは、まるで正反対のサジェスチョンをしている事に読者も気づくであろう。
それはフーマンが個人としてではなく、存在の「鏡」として機能しているからだ。

  首尾一貫して矛盾のない教えは、マインドにアピールして心地良い。
しかし生は本来矛盾に満ちているのが真実であり、フーマンの言葉も矛盾せざるを得ないとも言える。
相手の状況やプロセスに応答して、語る内容も異なってくるのである。

 このサイトはあくまでもフーマンという「鏡」を通して映し出されたキヨタカという一個人のスピリチュアルな成長のプロセスを記したものであって、フーマン自身の教えそのものの客観的開示ではない。
 フーマンと関わった別の人には、全く別のフーマン体験があるに違いない。
真理は一つだが、その表現は多様だ。
だから、それぞれの違ったフーマン体験をそっくりそのままリスペクトしたい。

>>2、ハワイでの個人セッション