恩寵の扉が開くまで part2

0、はじめに

私の人生を振り返って見ると、不思議な事に7年毎に大きな変化が起こっている。

最初に瞑想に興味を持ったのは21歳の春で、突然に頭が異様に冴え渡る神秘体験をした事がこの道に入るきっかけとなった。

本格的に瞑想の道を志したのは28歳の時で、会社を辞め日本を離れてインドの神秘家OSHOの下へ旅立った。

OSHOが肉体を離れたのが35歳の時で、それを機にインドを離れ日本に帰国してから瞑想の普及活動に従事した。

パートナーのヨガビジャと出会ったのが42歳の時で、リーラスペースの構想が生まれた。

その結果大勢の瞑想リーダーが日本を訪れ、アジズ&フーマンとの出逢いへと導かれたのである。

その内容は「アジズとの対話」と「恩寵の扉が開くまで」の2冊の本として出版されている。

それぞれ7年毎に劇的な変化があったので、49歳の時に起こる事に対する私の期待は実に大きく膨らんでいた。

だから「きっと念願の大光明が訪れるに違いない!」と密かに信じていたのである。

ところが、残念ながら見事に外れてしまい大いに落胆した。

しかし今冷静に振り返って見ると、49歳のこの時期こそ人生最大の変化が起こリ始めた時だと言える。

これから述べる事柄が、まさにこの時期に相当する。

あれから3回もハワイのフーマンを訪れ、またフーマンも3度来日してフーマン一色の日々を送ったのである。

但しこの時期の変化はとても微妙で、非常に誤解され易い。

なぜならその変化は、過去から連綿と続く探求者としての私に関しての変化ではなかったからだ。

私という「個」を越えた存在へとシフトし始めていながら、その当時は私自身何の変化も起こらないと嘆いていたのが実情である。

フーマンは、探求者としての私が消え去る方向へ絶えず導こうとしたが、私にとってはそれを違和感や抵抗としてを感じる事がしばしばあった。

その内容は探求者にとって必ずしも耳に心地良いものだけではなく、ましてや広く一般受けする事柄でもない。

さらに長い探求の旅の終わりに出逢ったフーマンとのやり取りを瞑想に関心を持ち始めたばかりの方々が読んだら、誤解のみならず探求の旅の障害になる可能性もある。

だからフーマンの勧めにもかかわらず、この事を公表する事には強いためらいがあった。

しかし私の道友で同じくフーマンから個人セッションを受けた田中ぱるば氏に原稿の一部を見せた所、「内容も深く、個人セッションでフーマンから受けたメッセージで忘れていた大切な事を思い起こし、大変参考になった」との意見を頂戴した。

ぱるば氏の感想に勇気づけられ、例え少数でも恩寵の扉を開くきっかけとなる方が居ればと思い、あえて公開する事にした。

フーマンとのハワイ個人セッション(第2・3回)がメインだが、最初のハワイ個人セッション(「恩寵の扉が開くまで」参照)から2年間のブランクがあるので、まず最初にそれまでの経緯を振り返る事から話を始めたい。

>>フーマン初来日