恩寵の扉が開くまで part2

(3)アジズ&フーマン

フーマンの来日は、私の魂にとって最高のギフトだった。

しかしオーガナイザーとして、そして私の自我にとってはかなりきつい出来事でもあった。

それは何故かと言うと・・・。

当初は「同じガイダンスの2人の教師」、という事でアジズとフーマンの2人を日本に招待した。

実際にアジズは何度もそう私に語っていたし、フーマンもその事を承知で来日した筈だ。

しかし実際に2人を招待してみると、その2人のエネルギーはあまりにも違い非常に戸惑った。

誤解を恐れずに敢えて表現するならアジズは修行系、フーマンは恩寵系とでもいえるだろうか。

両方のアプローチが必要な事は言うまでもないことだが、実際には2人が同時に同じワークを行うことは至難の業だった。

裏方に廻ったオーガナイザーとしての私は、2人のワークを矛盾なく進行させる事に腐心した。

特に、この合同リトリートでは2人が交互にリードしたため、あまりの2人のエネルギーの相違に悉く翻弄された。

実際フーマンもこのリトリートが完結していない事を察して、ハワイで独自のリトリートを行う事を約束して帰路についた。

2人が帰国した後は、疲労困憊して寝込んでしまう有様だった。

同じ源泉から啓示を受けたワークである事は、2人とも間違いはない。しかし「同じガイダンスの2人の教師」と言うには、あまりにも2人のワークの質は違っている様に思われた。

さらにアジズが強調していた「アジズ&フーマンのワーク」というものに対して、フーマンの方は消極的で、同じカテゴリーに入るのを良しとしない感じだった。

フーマンの来日までは「アジズ&フーマンのワーク」を日本に伝えるのが私の使命だと確信していたのだが、それが崩壊し確信が揺らいだ。

一度確信が揺らぐとマインドに様々な疑問が生じ、「アジズ&フーマンのワーク」そのものに対する疑いも生じてきた。

2人が日本に滞在していた時は、ハートに留まる事に全エネルギーを注いでいたので、2人の帰国とともに押さえられていたマインドが反撃に転じたのかも知れない。

「もしかしたら、非伝統的な教えを標榜する2人の若者に期待  した、私が間違いだったのかも知れない・・・。」

「やはり800年の伝統に裏付けされた日本の禅の方が、  悟りに近づけるのではないか?」

そう考えた私は、久しぶりに某禅寺で一週間の接心(集中瞑想会)に二度も参禅したのである。

しかし、この禅寺の修行はやたらと厳しかった。

接心中に警策で肩を叩くのだが、あまりにも強く叩く為に途中で何本か折れてしまう程だった。

雰囲気も殺伐としていて、当然ながらハートとは程遠い。

「日本の伝統的瞑想にはハートがない」とか「あなたはもう坐禅の修行は必要ない」とフーマンに言われて、日本の禅文化を高く評価していた私は密かに不快感や反発も感じていた。

しかし実際に久しぶりに体験した禅寺修業を通して、自分は今さら伝統的修業に戻っても魂の救いが得られない事を再確認したのである。

>>ハワイリトリート/(1)再びハワイへ