恩寵の扉が開くまで 完結編

0、はじめに

この現象世界で起こる出来事は、全て始まりがあり終わりがある。

探求の旅もまた然り。

「アジズとの対話」に始まり、「恩寵の扉が開くまで」「恩寵の扉が開くまでⅡ」と続いた私の探求の旅の軌跡も、遂に完結編を迎える事になった。

私にとり探求の旅の終わりとは、自我が完全に消え去り永遠の至福へ溶け去る事、つまり光明以外の何ものでもない。

だから、完結編を公開するのはまだまだ先の予定だった。

しかし今年に入り、私の人生は大きな転機を迎えつつある。

それは友人の死から始まり、今まで絶対に手放せないと思い込んでいた物事が一つ一つ、私の手元からこぼれ落ち始める体験である。

「あなたはもう出家するステージにいる。もっと放棄の方向へ進みなさい。」

フーマンによる集中的なワーク(「恩寵の扉が開くまでⅡ」参照)でそう言われてから7年が経過した。

その当時はまだ放棄するには程遠い人生だったが、この恩寵のワークが7年サイクルの大きな節目を迎えた今年こそ、今までの探求の旅を振り返るちょうど良いタイミングだと思う。

そもそも光明とか悟りという言葉には、探求者の自我がそれ自身を永続させる為の巧妙な2種類の罠が潜んでいる。

一つは「真理の道は深遠で、自分は悟りからは程遠く光明は遥か彼方にある。」と嘆く事で、絶対に到達の叶わない光明という地平線を目指して終わりなき探求の旅を続けてしまう事。

もう一つは「あなたは既に悟っている。あなたは既にそれだ。」という賢人の言葉を鵜呑みにして、自我が悟ったと思い込み探求の旅を放棄してしまう事。

だから「この地上で本当に真理を体験している人は、非常に稀だ。」とフーマンは言う。

だがこの果てしない探求の旅も、やがて終わりの日が訪れる。

それは、探求者が死んで消え去る日である。

この本は探求者としての私が死んでいくプロセスの記録であり、探求者キヨタカへのレクイエム(鎮魂)だ。

しかし「自分を捨てて死に、永遠の命にあずかるのですから」と聖フランチェスコの祈りにある様に、それは同時に魂としての再誕生を意味する。

本書はフーマン亡き後、私が「恩寵の光」に直接導かれる様になるまでのプロセスがメインテーマとなっている。

しかしその前に、フーマン存命中に受けた最後の個人セッションに遡って、話を進めよう。

このセッションは私にとりエネルギー的に最もインパクトがあったものであり、大切なメッセージが込められている。

それは私のみならず、魂の目覚めを求める多くの探求者たちにとっても大いなるインスピレーションを与えるものとなるだろう。

そしてこの「恩寵シリーズ」を完結させることは、私とフーマンとの約束であり、フーマンへの感謝として私にできる最大にして最善のことと確信している。

2010年5月18日 by キヨタカ

>>1、「する」事から「在る」事へ