恩寵の扉が開くまで 完結編

(3)家族の中にいても

フ:「これ」の中に光を感じるかな?

キ:・・・。

{フーマンは神聖な次元と繋がった状態をしばしば光と表現する。それは単なる比喩ではなくて、ハートの一番奥深くに実存し実際に見る事が出来るという。 私はどちらかというと感性的タイプなので何かを感じる事はできるが、それが光だと言えるほど視覚的には捉える事が出来ず答えに窮した。}

フ:私をよく見てみなさい。あなたには何が見える?

キ:「一つの全体」です。

フ:それは、あなた自身に対しても体験している事だね? 違いがある?

キ:あなたを見た時と私を見た時の違い、という事ですか?

フ:そう。「本当の私」という観点から相手を見てみると、自分と相手のリアリティに違いがあるかな?

キ:同じですか?

フ:そう。同じリアリティである事がわかる。

エッセンスは一つであり違いはない。

同じエッセンスを、相手にも見るようになる。

キ:そうなれたら良いのですが・・・。

フ:あなたがだんだん「これ」に入って行くと、他の誰もが同じ本質をもっている事が見えるようになる。

キ:あなたとこうして対面していると「これ」を見る事はとても簡単です。しかし、他の人に対しても全て同じという訳にはいきません。

瞑想をしている人々に対してはともかく、特に家族に対しては無理です。

例えば今姉は病気で苦しんでいるのですが・・・彼女と共にいて「これ」を見る事は不可能に思えます。

フ:もちろん、そうだ。

いつでも、どこでも、誰といてもあなたが「これ」であったら、あなたは完全に悟った人となる。

今あなたは、悟りに向かって目覚めが起こり始めているところだ。

もし「これ」があなたという全体になったら、もはやキヨタカはいない。

キヨタカがいるから、彼の抱える問題をまわりに投影する。

キヨタカの姉や母親という形でね。

キヨタカがいなかったら、何が残る?

「これ」だけだ。

「これ」だけが世間に応答する。

あなたの姉や母親や日本や世界の誰に対しても、応答するのは「これ」だけだ。

すると、すべては唯一「これ」となる。

それが今スタートし始めたところだ。

だから私と対面したり「これ」というプレゼンスを持つ人に対しては、あなたは直ちに「これ」を感じる。

あなたは今、少しずつその中へと変容し始めたところだ。

それには少し時間がかかる。

ある特別な状況の場合はとても難しい。

特に家族の場合は困難だ。

家族はあなたをキヨタカと見なす。

スピリチュアルなものに関心のある人々は、あなたと同じ質を持っているから一緒にいることができる。

しかし、家族の場合は・・・。

今はそれでオーケーだ。

もっと自分を手放せるようになると、家族の中にいても同じ質を感じられるようになる。

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