恩寵の扉が開くまで 完結編

(5)エッセンスと繋がる

キ:五井先生を見つけてから、そのエネルギーと強い繋がりを感じます。しかし彼の主宰する団体とは距離感があるので、この繋がりは単なるイマジネーションかも知れません。

フ:いつから繋がりを感じ始めたの?

キ:伊勢神宮で「神楽舞」を奉納してからです。

フ:祈りはとても大切なものだ。アマテラス(天照大神)が祝福を与えたのだね。素晴らしい。

キ:そのすぐ後に彼の本を読み、文字通り本にのめり込む体験がありました。

フ:しかし、あなたに起きた事は本を読んだだけのものではない筈だ。 他に何をしたの?

キ:講話テープを聴きました。

フ:いや、それだけではないはずだ。

{それだけではないはずと言われ、内心ドキッとした。こちらの行動が見透かされている感じがして、黙っていたかったのだが、やむを得ず包み隠さずに話す事にした。}

キ:実は、、、教団の本部へ何度も行きました。富士山の麓にある素晴らしいロケーションですが、そこの祈りに参加したり幹部の人の話を聴いたりしています。

フ:そう、それだ。実際にその場所を訪れた事で繋がりが深まったのだ。

キ:確かにそうかもしれません。しかし実はそこでの宗教活動やムーブメントにはどうしても違和感があって・・・。

フ:あなたは、少し賢くなる必要がある。

マスターと繋がっても、必ずしも彼の哲学やその組織、信奉者あるいは後継者などと繋がる必要性はない。

その2つは簡単に分離出来る。

キ:そういう繋がりは可能ですか?

フ:もちろん。実のところ繋がりとは個人的なものだ。それは非常に重要なポイントだ。

例えば今・・・あなたは私という存在と繋がっている。

私の教えや私のグループと繋がっている訳ではない。

私であるもの(Who I am.)そしてあなたであるもの(Who you are.)つまりこれ(This)と繋がっているのだ。

それが繋がり(Connection)というものだ。そうだろう?

キ:ええ。

フ:だから私との繋がりとは、私が何を語ったかとか私の本や哲学あるいはグループなどではない。

それは二義的なものだ。

五井先生やOSHOとの繋がりも同じだ。

彼のエッセンスとの繋がりが大切だ。

OSHOのサニヤシンやプーナとの繋がりは、あなたの場合ある意味で既に卒業している。

キ:卒業ですか!?

フ:しかしあなたには情熱的で献身的傾向があり、また知的探究心も強い。

だからそうした組織の中に首を突っ込みたがる。

それはオーケーだが、今のあなたの段階ではもうその必要はない。

彼の本やテープで、祈りの本質を学べばそれでいい。

もちろん彼の創った場所を訪れてその美しい自然を堪能しても構わない。私もその場所を楽しんでみたいくらいだ。

しかし繋がりという事に関しては、あなたの場合個人的なものだけで十分だ。

あなたのハートが「真実だと知っている部分」とだけ繋がりなさい。

キ:解りました。

{この時はよく解ったつもりだったのだが、、、今から振り返るとその後何度もこうした様々な組織に興味を覚えて首を突っ込んでは抜け出す体験を繰り返した。今ようやく「その必要はない」という意味が体験的に解った。つまりこの時点では、解っていなかった事を認めざるを得ない。}

>>(5)祈りのCD