恩寵の扉が開くまで 完結編

(7)ハートは既に知っている

キ:知る事(Knowing)とはマインドとは別なのですね?

フ:私は、真実について権威を持っている。

私は知っている。

何故なら、私は「私は誰か?」を知ったからだ。

天照大神も、シヴァも、アラーも、仏陀も、私は知っている。

それらは全て同じだ。

私はOSHOを知っている。

それが、真実のエッセンスを知った者の権威だ。

自己の真実のエッセンスを知った者だけが、あなたに対して真実を目覚めさせる事が出来る。

「これ」がそれだ。

「これ」以外のなにものでもない。

私と何度会っても、私は同じ事を言う。

This is it!

OSHOが今この椅子に坐っていても、違いはない。

同じものを与えるだろう。

そしてあなたの旅を、輪廻転生を終わらせるだろう。

私はあなたのカルマの旅を終わりにしよう。

あなたのカルマの旅とは探求であり、スピリチュアルな探求とは病気だ。

それがマインドだ。

{ 「スピリチュアルな探求とは病気だ」と言われた事は、大きなショックだった。

仏陀の説法の中に「毒矢の喩え」がある。

ある人が毒矢に射られた。直ぐに矢を抜く必要があるのに、誰が射たのか、どんな弓で、射た人の動機は...等々を議論していたら、その人は死んでしまうだろう。 直ちにすべきは毒矢を抜く事であり、理論は二の次だと仏陀は語っている。

恩寵とは毒矢を抜く手助けをしてくれる医者の様なものだ。 私の場合は既に医者が訪れているのに、その医者の名前やどんな人物で何処に住んでいてなぜ助けてくれるのか、問い続けているようなものだった。}

フ:私は、恩寵と愛と真実と至福と自由でもって、あなたの旅を終わりにしよう。

そして、この夢の中で自分は誰かを思い起こす。

マインドに翻弄されるのは、もう止めなさい。

なぜ、これがあなたに与えられたのか?

それは、あなたのハートの純粋性による。

私が誰かのハートの純粋性を知る時、恩寵がただちに降りてくる。

それだけだ。

あなたのマインドは、他の人のマインドと同じくクレージーだ。

しかし、ハートの純粋性があると、そこに恩寵があなたに与えられる。

何生にも渡って、あなたは探求してきた。

あなたの探求は終わりにする必要がある。

そうする事で、新しい人生が始まる。

マインドでは知り得ない事を、あなたは理解するようになる。

あなたのハートだけが「恩寵」を知っている。

あなたのハートは既に知っているのだ。

神を、真実を、OSHOを、フーマンを既に知っている。

ハートだけが知っていて、マインドは知らない。

ハートは、既に、直ちに知る。

真実は、唯一ここ(ハートを指す)でだけで見出される。

そして、あなたがそれとなる。

私があなたと向き合って坐る時、私は何もしていない。

シンプルに、あなたに対してハートを開いているだけだ。

私がハートを開くと、私の存在が、私の魂が開き、あなたはそれを吸収する。

あなたは「私であるもの(who I am)」と同じだ。

このプレゼンスによって、あなたは自分自身を思い起こす。

たったそれだけの事だ。

私は「あなたであるもの(Who You are)」を目覚めさせる。

それが全てだ。

私は、あなたのマインドには焦点を当ててはいない。

リトリートでは、カルマや潜在意識にもワークをするけれどもね。

しかし、焦点は「これ」だけだ。

あなたが海に飛び込めば、あなたは泳ぎを思い起こす。

それと同じだ。

私は「これ」だ。

あなたもまた「これ」だ。

唯一の違いは、あなたは「これ」を忘れてしまった。

カルマが、それを忘れさせる。

マインドが壁を創り、それを見えなくさせる。

自分が誰かが見えなくなり、見えるのはマインドだけとなってしまった。

真実の力でマインドが取り除かれると、あなたは自分自身を見る事が出来る。

この「恩寵」は、いったい何処か来るのだろうか?

それは「恩寵」からだ。

「神」は何処から来る?

キ:「神」から、、。

フ:これが、悟りの責任だ。

今生で、あなたは解放され自由となる。

あなたの探求は、少し長過ぎた。

今こそ、そこに到達し明け渡して死ぬ時だ。

死ぬのはあなたではなく、マインドだ。

マインドは今死につつある。

あなたの質問や疑問は死ぬ。

あなたのマインドには、もう生き延びる機会がない。

この光のパワーの方が大きい。

神のパワーは、マインドよりずっと大きい。

いったんそれがあなたの人生にやってくると、あなたはそれでお終いとなる。

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