恩寵の扉が開くまで 完結編

(3)ゾルバを卒業する

キ:「真実の自己」の目覚めが大切な事はよく解りますが、同時にこの現象世界をトータルに生きる事もとても大切ではないでしょうか?

フ:外側の表面の出来事や繋がりは、ただの幻想でありそこに価値はない。

沢山のお金を儲けたり、素晴らしい創造的活動をしたり、素晴らしい恋愛をしたとしても、「これ」がなかったら、あなたとはいったい何なのか?

キ:OSHOは「ゾルバ・ザ・ブッダ」という概念を提唱しています。 ブッダの部分が真実である事はもちろんです。 しかし、この世が与える楽しみを最大限に享受して喜び踊る「ゾルバ」の部分を開発する事も「ブッダ」である事と同じだけ大切ではないでしょうか? 「ゾルバ」に価値はないのですか?

フ:「ゾルバ」の部分は、いつでも幻想だ。

しかし実際にそれを通り抜けないと、それが幻想だとは解らない。

あなたはそれが本物だと信じているので、それを欲する。

だから「ゾルバ」と「ブッダ」は両立しない。

「ゾルバ」から「ブッダ」にはなれる。

しかし「ブッダ」が「ゾルバ」になるわけではない。

あなたが「ゾルバ」を卒業した時そこに残るもの、それが「ブッダ」だ。

そして、「ブッダ」は幻想には興味がない。

彼の中では統合が起こっているので、幻想に惑わされる事はない。

しかし「ゾルバ」を生きる事なく「ブッダ」になろうとすると、たくさんの物事を抑圧する。

そうすると、幻想がリアルに思われる。

セックスがリアル、お金儲けがリアル、創造性がリアルに見える。

しかし「ゾルバ」の部分を通り抜けて理解が起こると、そういったものは全てリアルではない事を知る。

この外側の世界は、浅薄だ。

キ:それでは私の場合、ゾルバの部分をもっと生きる必要はないのですか?

フ:あなたは既に十分「ゾルバ」をやって来たではないか!

またもう一度やりたいのかな?

小学校へ行ったら、やがては卒業するだろう。

また小学校へ戻りたい?

OSHOの哲学の多くは、伝統的な宗教に反逆するものだった。

それは伝統的宗教が抑圧してきた物事に対する反逆だ。

伝統的な束縛から自由になる事を説いた。

キ:そうですね。個人の自由を最大限尊重しました。

フ:そう。例えば、お金やセックスの欲望を抱えている人がいたら、そのマインドを抑圧せずただそれを体験していきなさいと言った。

「ゾルバになりなさい!」と。

・・・しかしあるポイントで、彼はいつでもこう語る。

「あなたはセックスを超越しなさい!」と。

決してセックスをし続けなさいとは言わず、セックスが落ちる事で超意識が目覚めると語っている。

残りの人生をずっとゾルバで生きる様にとは、語ってはいない。

 

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